千葉県木更津市の整体−腰痛・肩こり・ひざ痛にお困りの方へ

すこやか自然形体院

                                            千葉県木更津市永井作1−2−6
                                               電話 0438−23−7721
       

人間の健康に携わっている者として
     一人ひとりに真剣に向き合います!


はじめまして、すこやか自然形体院の山田です。
当院のホームページにご訪問頂きありがとうございます。

当院は、患者さんとの信頼関係を大切に考えております。
初めての整体院にこられる方は、どんなお店で、
どんな雰囲気なのかとても気になると思います。
ここでは、私の自己紹介を兼ねて、少しでも当院に
親しみを持って頂ければと思いプロフィールを書かせていただきました。

幼児期から青年期

私は、昭和40年に東京は町田市で生まれ、神奈川県相模原市で育ちました。
少年時代は目立つ事が嫌いで、泣き虫な子供でした。 勉強も苦手で運動神経も鈍く、 何をやるにも平均以下だったようです。 私は幼稚園児の頃、頭に大怪我をしており、中学生ながら腰痛もちになったのは、そのダメージが原因だと知ったのはこの世界に入ってからです。

どんなケガかと言うと、友達と落とし穴を掘っていた時に、私が穴に入り深さを確認していたところ、友達が持っていた鍬を振り下ろし、鍬が頭に刺さったのです。 今思うとゾッとしますが、友達が私を置いて泣いて走っていってしまったので、自分で頭から鍬を抜きました。 一瞬の出来事で、何がなんだか分からないうちに、体全体が血だらけになり 、私も泣きながら歩いて家に帰りました。当時は今と違いノンビリしていたのかも知れませんが、救急車を呼んでもなかなか来なく、隣の家のクルマで頭の出血をタオルで抑えて病院まで行きました。 病院では直ぐに止血がおこなわれ、11針を縫う大怪我で、レントゲンでは脳の5ミリ横を鍬が刺さっていたらしく、あと数ミリずれていたら 即死だったと言われました。

それから私は、自宅で二年間寝たきりの生活を送る事になりました。 起き上がると具合が悪く、絵本などは読めません。 毎週両親に あっちこっちの病院に連れていかれ、親も必死だったと思います。私には現在4歳の息子がおりますが、生れながらに心臓が悪く生後三ヶ月もたないと宣告された経験があります。 その時は私の両親が私にしてくれたように、やはり様々な病院に必死になって連れていきました。今にして思えばあの頃の親も同じ心境だったんだなと思い、子供を思う親心を 改めて知りました。

そんな私は幼稚園も休園し、卒園式だけに出席させてもらった記憶があります。 小学校にあがっても、体育や運動は禁止されていたので、運動神経が鈍いう えに体を動かさなかった事が、輪をかけて運動神経の発達を遅らせたのではないかと思っております。 そんな体でも小学4年生になると、少しずつ運動ができるようになり 少年野球に熱中したものです。 当然体力のない私は、練習についていけず絶対にレギュラーは無理だと言われていました。しかし私はとにかく野球が大好きになり、 上手いヘタは関係なく練習に明け暮れた思い出があります。

そんなある日つき指をして、整骨院に通ったことがありました。 相模原駅から10分位歩いたところの整骨院で、 当時はまだ珍しかったカイロプラクティックもおこなっていたのです。 実は私の両親は、慢性の腰痛持ちで、今から30年前にカイロプラクティックに通っていたのですが、 そこの院に通いました。 両親からの話では、そこの院長はアメリカで修行した先生で、日本でも有名な先生だと聞いた記憶があります。 それがカイロプラクティックを知ったきっかけです。

私が始めてそこでカイロを受けたのは、中学1年生の頃だと思います。 原因は腰痛です。 当時は今と環境や認識が違うので、随分と貴重な体験をしたと思います。 確か28年前の当時で、施術代が4000円位したと思いますので贅沢をさせてもらいました。 振り返れば小学生の頃から腰の痛みを覚えていましたが、腰痛の原因は、 幼い頃の頭の怪我が体を歪めた為と知りました。 体への強い衝撃は、体を歪め何かしらの症状を引き出すことを身をもって体験した訳です。

そんな私も高校の時には水泳部に 入部し、それなりに成績を収める事ができました。しかし腰痛は相変わらずで、体育祭で綱引きをしては腰を痛めカイロプラクティックへ通い、大学時代は空手に熱中したものの、稽古中に動けなくなることもしばしばでした。 そして社会人になっても、仕事中にクシャミをしては歩けなくなったりして、つねにカイロプラクティックが人生のパートナーでした。

カイロプラクティックといえば、こんな偶然がありました。 大学時代は4年間、青森県八戸市で下宿生活をしましたが、下宿近くで見付けたカイロプラク ティックへ行くと、実家で通っていた整骨院のお弟子さんが故郷に戻り務めていてビックリしました。 更に社会人になって、神奈川県綾瀬市に勤務していた時期がありましたが 、通勤途中に見付けて入ったカイロプラクティックの先生も、昔通っていた所の先生のお弟子さんが独立開業されていた院で、世の中は狭いとつくづく思ったものです。

20代 まで、偶然にも同じ系列で学んだ先生に治療を受けていた訳ですが、ギックリ腰の痛みや足の神経痛がすぐに改善され、いつも関心していました。 実は大学卒業を迎え就職を 考えたとき、カイロプラクターの道に進みたいと考えましたが、今と違い情報がなくどうすればなれるのかがわからず、世間一般的なサラリーマンの道を選ぶことになりました。 (まあ、ひとつのあこがれであり、真剣にカイロプラクターになろうとは考えてなかったのかもしれませんが・・・)

整体を学ぶきっかけ

サラリーマン生活も15年を向かえ、世間的にも責任あるポストに付き、会社を辞めることなど考えたことも無かったある日、久しぶりに腰を痛め歩けなくなりました。 社内では有給休暇を腰痛で消化することで有名になるほど、腰痛と常に向かい合わせの生活でしたが、そんな腰痛とも1年程遠ざかっていたので、本当に久々の痛みでした。

妻に電話帳で近くの整体院を探してもらい、中国整体院に連れていってもらいました。時間にして1時間ほどでしたが、痛みの50%は消え去り、二日間通院することで、会社へ行く ことができるようになりました。 この時は、カイロプラクティックとは違う治療でしたが、痛みが軽減されていく経過にとても感動しました。

動けずに布団の中で横になって いる時、「この先、転勤になったらどうしよう?」と不意に頭をよぎりました。勤めていた会社では数年おきに転勤がありましたが、その頃、家を建てたばかりで家族5人がそろっての引越しが出来ないことは初めから理解していました。 そして何より、まだ幼い次男は体に問題を抱えているので、私が単身赴任してしまっては妻にその負担が全て掛かってしまうのが一番の気がかりでした。父親として傍にいてあげたい思いもあり、弱い体を少しでも良くしてあげたいとも考えました。 私が整体を学ぶことになったのは、今から考えても全てがそのタイミングであったというべきだと思います。  


弟子入り志願

その頃の仕事は忙しく、家に帰るのはいつも夜10時頃の生活でした。 整体を学ぶためにいろいろと学校を調べましたが、夜学に通うのは無理、場所的に都内まで毎週日曜日に通うのもきつい、できれば近くでないものだろうか?・・・と、条件が厳しかったせいか、なかなか見つかりませんでした。

それでも偶然、中国整体を教えている先生を見付け出し電話で聞くと、「今、1人教えているから今年はもう弟子はとらない」との返事で、半年後にまた電話してこいと断られました。 人間とは不思議なもので、断わられるとより興味が沸いてきて、どうしても一度会って話しを聞きたいと再度電話し、なかば強引に会ってもらうことに成功しました。

当日は、妻と一歳半の次男を連れて訪問しました。 先生も夫婦で訪問したことで私の本気度を感じたらしく、異例の弟 子2名体制となり修行が始まりました。 そう、そしてこの先生は、私がこの道を考えるきっかけとなっ た腰痛を治してくれた整体院の大先生でもあったのでした。


修行時代

修行とはいえ、月謝を払うわけで、妻はその大金を快く用意してくれました。また会社を辞めて独立したいと言い出したときも、私の思いを理解してくれた妻に感謝 しています。

毎週日曜日に車で片道1時間掛けて、整体院まで習いに行くことになりました。先生からは、家で毎日2時間、砂袋で手を作るようにと言われ、家では砂袋を相手に手が血だらけになるまで4種の手技を繰り返しました。おかげで比較的早く手ができあがりました。 修行の後半では、先生と一緒に治療をさせて頂き人の身体を扱う責任を感じるとともに、早く独立開業したいとの思いが膨らんでいきました。

その整体院は、朝9時から午後3時まで、治療は1人15分程というスタイルでした。今考えても、 推拿療法で1人15分程の治療で終えることができるなんて、一生かかっても私にはできないと思います。 今では自然形体の道を選んだため、その先生とは疎遠になってしま いましたが、この道に入るきっかけと独立するためにサポートして頂いた恩は一生忘れません。


開業して自然形体活性療法との出会い

開業当初から、整体についてもっと勉強したいという思いがあり、骨格矯正の長命整体やHSTという療法を学びました。また患者さんのニーズに答えようと、スポーツ整体を元プロ野球球団のチーフトレーナーから直接学ぶ機会を得ました。

そんなある日、仕事仲間からあるセミナーに誘われました。 それは驚きのセミナーでした。全国から整体のプロが集まり、そのプロたちを「あっ」と驚かす手技の一部を公開していたのです。会場では参加者にデモンストレーションが行われ、「なぜ?どうして痛みが消える んだ?」と会場のあちこちで声が聞こえてきました。 このセミナーを主催した先生は何者?治療方法はなんて言うの?これって自分たちも学べるの?私の頭の中は、その療法を学びたいという思いは消えるどころか、日に日に大きくなるばかりでした。


自然形体活性療法を学ぶ

その謎の療法が自然形体療法と知り、学ぶには静岡県浜松市にある自然形体学院へ通わなくてはなりませんでした。でも静岡までは通える訳も無く、、、でもどうしても学びたい。 葛藤のなか学院に電話して、院長に相談すると「住み込みで短期集中して学んだらどうか?」とアドバイスを頂き、これまた妻と次男を連れて伺いました。

学院といっても先生の自宅の1階が治療院になっており、先生が治療のかたわら教えるというスタイルのようでした。 既に3名の地元の先輩生徒が在籍しており、他に私と同じようなスタイルの受講希望者が2名いるとのことでした。 先生の治療院は、次から次へと途切れることなく患者さんが来院されます。私と妻が訪問した時も、椎間板ヘルニアで来院された新患さんが偶然治療していました。ビックリです、僅か20分位の治療で痛みが消えて普通に歩いて帰るのです。次から次へと先生は、患者さんの痛みをとり治療を終えていきます。 休憩時間に先生とお話しさせて頂きましたが、既にこの段階で「今までの手技をこの技に切り換えてやって行きたい。その為にも、ここで学ばなくては」と決めていました。

「今まで学んだすべてを捨てでも学びたい」と思う療法との出会いでした。 からだをほんの僅か動かす、ゆする、牽引するだけで、常識では考えられない結果がでる。幾つかある法則を使うことで、治療効果が100%再現できる療法。今までは整体範囲外とされていた、症例への対応ができる療法。患者さんが、上向きで治療が受けられる療法。短時間で不調箇所の改善ができる療法。施術する自分が疲れない療法。

その後、3週間に渡り厳しい住み込みの修行を行いましたが、一生が修行であり、生涯が学習期間だと思っています。 現在も毎月1〜2泊のペースで、研修に通っていますが、私の師匠も本部で勉強会に参加しており、自然形体療法自体がどんどん進化しているので、この勉強会は一生続きそうです。  

まだまだ私の自然形体療法の治療家人生は始まったばかりです。
今後のすこやか自然形体院にますますご期待下さい!

すこやか自然形体院は  患者さんの健康と幸せな毎日 を願っています。   

キーワードは「あきらめない!」

当日予約も大歓迎!今すぐ電話!
    痛み110番 TEL 0438-23-7721                     

※ご来院の際にはタオル及び靴下をご持参下さい

「すこやか自然形体院」は日本自然形体療法学院公認です。
千葉県内の千葉市(若葉区、中央区、花見川区、稲毛区、緑区、美浜区)はもちろん、
市原市、木更津市、君津市、富津市や、東京都、神奈川県川崎市、横浜市などからも来院されます。


 〒292-0053 千葉県木更津市永井作1-2-6   
すこやか自然形体院 予約Tel. 0438-23-7721
copyright © 2007 sukoyakasizenkeitaiin.